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50年前



 今から50年前のクラシック界を考えてみましょう。指揮者ではカラヤン、バーンスタイン、ベーム、クレンペラー、歌手ではカラス、ニルソン、テバルディ、デル・モナコ、ベルゴンツィ、F-ディスカウ、プライなどそうそうたる音楽家が活躍していました。今もCDでその演奏を聴くことが出来ます。でも決して古くさい、聴くに堪えない、音が悪いということはありませんね。
 でも私が音楽を聴き始めた70年代から50年さかのぼると1920年頃、ようやく蓄音機が普及し始めた頃、フルトヴェングラーは若手でメンゲルベルグ、トスカニーニが全盛期でしょうか、歌手ではシャリアピン、カルーソー、でフラグスタートでさえ駆け出しの頃でした。その頃の演奏はまだ音が悪く、大時代的で、歴史的ではあっても、今聴いてもあまり楽しいものではありません。それ故、私たちクラシック・ファンは演奏の洪水の中で生きているのかも知れません。
 それはともかく原点に戻って70年代にカラヤンの演奏を楽しんだように、2014年現在の同時代人の演奏を大切に聴くこともクラシック・ファンとしては大切なことだと思います。
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高尚と上品


(写真はMetの「イーゴリ公」リハーサル風景です)

 クラシック音楽は高尚な芸術とよく言われますが、高尚と低俗とは何処で決まるのでしょうか。私が若い頃はバッハ、ブルックナー、バルトークがクラシックの中でも高尚な音楽で、チャイコフスキーやプッチーニが好きなどと言うものなら白い目で見られました。日本では絶対音楽がレベルが高く、標題音楽はやや低く見られているのかも知れませんね。 私は高尚と低俗とは聴く方の意識で変わるものだと思います。オペラ歌手の場合2オクターブかそれ以上の音域を要求されますが、ポピュラーや歌謡曲の場合1オクターブぐらいをカバーすれば歌えます、しかし広い音域を自在に歌えるようにするには、絶え間ない過酷な練習が要求されます。その訓練を積むことがレベルの高さにつながるのだと思っています。

 逆に上品さは音楽家の演奏の仕方で変わると思います。やはり楽譜に忠実にそして作曲家の思いに従いながら個性を出していくことが品の良さにつながるのだと思います。自分の勝手な解釈で曲の内容を変更するとどうしても品が落ちますね。最近は原典を大切にする音楽家が増えていますが、とても大切な事だと思います 。

ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)



 先日、京都大学の松本総長の話を聞く機会がありましたがそのときニコラ・テスラ(Nikola Tesla)の話をされておりました。交流電流、蛍光灯などの発明。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す発明家ですが、同時代のエジソンに比べて一般には知られていませんね。
 彼はエジソンに対して「私は彼の行う実験の哀れな目撃者のようなものであった。少々の理論や計算だけで彼は労働の90%を削減できただろう。しかし彼は本での学習や数学的な知識を軽視し、自身の発明家としての直感や実践的なアメリカ人的感覚のみを信じていた。」と語っています。松本先生の話では経験だけ、学問だけではダメ、テスラのように経験と学問、どちらも大切だと話されていました。
 オペラ歌手でも舞台の実践だけではダメ、やはり音楽も学問的にしっかり勉強することが大切だと思います。昔は楽譜も読めずに歌っていた歌手もいたそうですが、最近の歌手は大学や学校でしっかり勉強しています。それ故、聴き応えがありますよ。昔の歌手を懐かしむのもいいですが、新しい歌手も皆さん結構上手いですよ。

スザンナ・フィリップス (Susanna Phillips)の フィオルディリージ 私の愛したリリコ・スピント



 今年の西宮芸文、佐渡裕監督プロデュースオペラ2014はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」です演出はデヴィッド・ニースと言うことで本格的ですね。招聘の歌手と日本人とのダブル・キャストです。日本の歌手も素晴らしいですが、何といっても フィオルディリージを歌うスザンナ・フィリップス (Susanna Phillips)が目玉です。

 アメリカ出身の若手ですがすでにMetの来日公演でムゼッタを歌っています。メトロポリタンオペラの秘蔵っ子で今年もフィオルディリージ、ムゼッタだけではなく「こうもり」のロザリンデを歌いました。これから伸び盛りの歌手ですね。若くて艶やかで伸びやかな声の持ち主ですが、Liveならではの音の厚みに期待しましょう。昨年はミア・パーションのフィオルディリージを聴きましたが、その比較も楽しみです。デヴィッド・ニースの推薦ということですが、あの難しい「岩のアリア」をどのように歌うのでしょうか。ワクワクしますね。

ブラームスは大酒飲み



 「Brahms and Liszt」というと俗語で「大酒飲み」と言うことだそうです。まあすべての英語圏で通じる言葉ではないのですが、あの謹言実直な音楽を作ったブラームスでは考えられないことわざです。きっと若い頃から酒場でピアノを弾いていたのだから無理もないかも知れませんが、そう思って聴いているとブラームスの音楽ってちょっと洒落たところもあるようです。特に交響曲3,4番や後期の作品にはアレッと言うところもあったりしてブラームスの音楽の印象も変わりますね。だから、やたら腰の重い演奏だけではブラームスは語れないと思います。で、私の好きな演奏クライバーのブラ4です。ウィーン・フィルよりバイエルンを振ったときの方がイキイキしていると思いませんか。

Metの「イーゴリ公」を見ました。



 Metの「イーゴリ公」を見ました。チャルニコフの演出は第一次大戦をベースにしたもので、現代的な演出としても妥当なものでした。「イーゴリ公」の顔がUPで映し出されたのには驚きましたが・・・。第一幕のポピーが乱れ咲く場面は綺麗でしたね。ポロヴェッツ人の踊りは迫力がイマイチでしたが、演出の制約上仕方ありません。グラズノフの加筆した部分は大胆にカットする代わりに、それ以外は慣用的なカットも少なくほぼフルバージョンで見せてくれました。ただ、コンチャコーヴナとウラジーミルの別れは第3幕に移動し、物語の展開をわかりやすくしていました。

 音楽は素晴らしかったです。特に指揮のノセダは迫力がありながらも音をくっきりと切り取ったようなペダルの少ない演奏で、さすがですね。Metのオーケストラやコーラスも素晴らしい出来でした。

 アブドラザコフの「イーゴリ公」も素晴らしい出来でした。深い声だけではなくその苦悩、再生に向かう主人公の表現力はさすがです。ラチヴェリシュヴィリのコンチャーコヴナ、セルゲイ・セミシュクールのヴラヂーミルも良かったですが、ミハイル・ペトレンコのガーリツキィ公の悪役ぶりには舌を巻きました。ラトルの振った「神々の黄昏」のハーゲンから注目していましたが、声の良さ、音楽性、役柄、三拍子兼ね備えています。

 でも、何よりも素晴らしいのはオクサナ・ディカ(Oksana Dyka)ちゃんのヤロスラーヴナでしょう。プロローグから会場を揺るがすような高音をとどろかせ、第2幕と第3幕ではゆったりとした叙情的なアリアを歌い、単調な旋律の中にも「イーゴリ公」を思う気持ち、王妃としての威厳を漂わせ、この役としては最高の歌唱でした。その上品な歌が聴衆の心を引きつけるのだと思います。練習を積んだせいか、演技もとても上手かったですね。チャルニコフの演出はこのヤロスラーヴナが主人公であるように各幕の出番も多く、本来、出演しないポロヴェッツ陣営でも「イーゴリ公」の幻影の中に現れます。(左手をずっと上げておくのは大変だったでしょう)評価が厳しいMetの観客もスタンディング・オベーションで拍手を送っていました。

 たぶんBDで発売されれば、「イーゴリ公」の決定盤になるくらいの演奏です。
プロフィール

dawa7761

Author:dawa7761
オペラをこよなく愛する者です。
すばらしいリリコ・スピントであるOksana Dykaちゃんのファンです。
東の果ての国から応援しています。

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